一般社団法人臨床心理iネット

代表理事

中野孝昭

2016年6月19日に開催された臨床心理フロンティア・フォーラム 1 「発達障害のアセスメントと支援の最前線 – ライフステージに即した問題理解のために – 」の開会挨拶として、以下のようなことをお話させていただきました。

ここ5年ほどの間、下山先生や下山研究室の方々と、一緒に仕事をさせていただく機会があったのですが、臨床心理学は 日本でも大きな変化の時を迎えているように思います。その基本原則は、科学者 – 実践家モデルにあるようですが、元々はエンジニアである私には、最初はとても不思議な感じがしました。

このモデルは、あまりにも当然なことではないかと思ったのです。

今は、これはフロイトの精神分析の発展過程と関係していると理解しています。フロイトは、エミール・クレペリンと – この方は精神障害を原因ではなく予後から分類したのですが — 同じ年1856年に生まれています。クレペリンの予後からの分類は、現在のDSM ( Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders ) の「操作的診断基準」という考え方につながります。そのポイントは、脳と精神の関連が科学的には解らないということにありました。このわからなさは 今でも本質的にはあまり変わらない・・・。

当時のこの状況に対してフロイトは無意識を発見し、その「心因に基づく心の病」という考え方が 大きな影響を及ぼすことになりましたが、精神分析には 当初から治療効果に関する疑問が提示されました。マネジメントの分野で著名な ピーター・ドラッカーの「傍観者の時代」という本には、「フロイトの錯誤と その壮大な試み」と題された一章があり、8 才の時フロイトと握手させられた思い出から始まり、興味深いエピソードや考察が綴られています。

その中に、治療効果について1920年頃に比較研究が行われ、結論は否定的なものであったという記述があり、モルゲンシュテルンの意見として「神経症なるものに実体がないか、あるいは、患者が信頼さえすれば どのような治療法でも効果をあげるということを示しているだけかも知れない」とあります。この時、モルゲンシュテルンは、まだ大学生で その後プリンストン大学に奉職し、1944年にフォン・ノイマンと「ゲーム理論と経済行動」という本を著しました。10歳程だったドラッカーが、後にゲーム理論を創始したモルゲンシュテルンとウィーン大学心理学教授 カール・ビューラーの会話を聴いて覚えていたわけです。

これに続きドラッカーは、精神分析に対する学会からの疑念等に対する幾つかのフロイト的錯誤を指摘し、最後に「フロイトの精神分析こそ、理性的な科学と非理性的な心の動きを一つの理論にまとめ上げようとする壮大な試みであった」と論じ、それ故、フロイトは、精神分析の体系が 様々な問題提起に対して脆弱で崩壊しかねないことを知っていたとしています。

その後の精神分析の状況に関しては、2003年に出版された マット・リドレーの「やわらかな遺伝子」という本が参考になりました。著者は イギリスのサイエンス・ライターで、この本は 全米科学アカデミー図書賞を受賞しています。その「狂気と原因」と題された章に、「当初フロイト派は、重い精神病は避けて、神経症の治療に専念していた。ところが、アメリカで精神分析の自信とパワーが強まるにつれて、勢い余って一線を越え、精神分析以外の説明は不要としてしまった」、つまり「精神病の生物学的な説明を異端にしてしまった」と書かれています。

これでは、最早 科学をないがしろにしています。心理学的な方法であれ、医学的な治療であれ、科学であるためには、仮説すなわち方法を検証し より良くしていく継続的なプロセスと普遍的な基盤が必須です。

土居健郎 – 甘えの構造で有名な方ですが – の「精神分析と精神病理」1970年第2版 には、「病因を総合的に考察する場合は当然所与としての素質を前提せねばならないが、しかし精神分析はこれを前提とするだけで、これをつきつめることはできない。なぜならば精神分析の方法はもっぱら精神力学、いいかえれば心理的諸因子の相互作用を探求するために作り出されたものだからである。」という誠実な記述がありました。これは、心因以外の障害には 精神分析の有効性は疑問であり、医学的な探求も含めたいっそうの努力が必要であると理解できます。

なお、これも「柔らかな遺伝子」に記述がありますが、精神分析が広く受け入れられた背景に、精神医学の用いたロボトミーや電気ショックというような当時の治療法への拒否反応があったように思われます。今は、このような極端な方法は少なくなってきていると思いますが、例えば心因性の障害に薬物を適用する妥当性の論拠はこれまで十分には解明されていないと思います。薬の効き方や副作用、またその効用の限界について、十分な説明を聞いて納得して服用することが前提ではないでしょうか?

心の病については、それが脳と心の関係の上にある難解な問題であり、治療効果の評価、医学的アプローチと心理的アプローチの調和、その上 人が生物・心理・社会における関係性に根ざす「現実の生活を営む存在」であることから、それらの科学性の担保には多くの課題があると思います。それ故 様々な実践的な専門家の「チームとしての取り組み」も、既に重要な課題となっています。

健全な懐疑心を持ち続けること、わかるということは 同時にわかっていない事柄にも気がついていること、というような実践家としての基本を守ることが必要です。ですから、上記の内容も 疑い 自ら 考えていただくのが大切と思っています。